今日、勉強したのはブラックマンデーです。
ブラックサーズデー(暗黒の木曜日、又の名はウォール街大暴落)が1929年あったので、それに因んでつけらた名前で、
1987年10月19日(月曜日)に起こりました。
このブラックマンデーは株式市場にとって残酷な日で、1日のダウ平均株価下落率は22.6%を記録しています。
これは1日の株価下落率としては現在までを含め歴代ダントツの1位となっています。
ブラックマンデーの経緯
ではなぜこのようなことが起きたかのかというと、
実はこのブラックマンデーははっきりとした原因が特定されてなく、諸説ありますのでそれを紹介します。
原因1:レーガノミクス
1980年代の初めアメリカは財政赤字と貿易赤字という問題を抱えており、高い失業率とスタグフレーションに悩んでいました。
そこで、1981年に大統領なったロナルド・レーガンはこの2つの赤字を減らす「プラザ合意」を行いました。プラザ合意では、為替をドル安に誘導することでアメリカの貿易赤字を解消することを目的としていましたが、ドル安は進んだものの貿易赤字の改善とまでは至りませんでした。
そればかりか、ドル安が行きすぎてしまったため、インフレや景気後退などこのプラザ合意により新たな問題が浮上してしまったのです。
そこで1987年にG7が「ルーブル合意」を発表します。ルーブル合意とは先進7ヵ国がプラザ合意によるいき過ぎたドルの下落に、歯止めをかけることを目的とした政策です。
この協調政策は順調に進むかと思われましたが、実際は長続きしませんでいた。その理由は、G7の1つの国、西ドイツでもインフレ懸念が高まったからです。
1987年9月に、西ドイツはアメリカの反対を押し切り、インフレ対策として金利引き上げに踏み切り、それ受けて、各国の株式市場は「G7の協調政策は破綻した」という不安が急速に広がり、この西ドイツの金利引き上げから1ヶ月後の1987年10月19日(月曜日)にブラックマンデーが起こりました。
原因2:中東戦争
1980年当時、アラブを代表して国境を接するイラクがイランとの全面戦争に突入し、アメリカもイラクを支援していました。その中東で起こっていた戦争で原油危機が起こるかもいう懸念がありました。そういう不安が暴落の原因になったという方もいます。
原因3:コンピュタープログラム
1980年当時、投資家の間では自動売買によるコンピュータプログラムが普及していました。
そのプログラムの内容は「ある一定の値段まで株価が下がると、自動的に損切りされる」というプログラムでした。
株価の急落を受けて、コンピュータがプログラムに従って投げ売りを指示し、さらに株価が下がって売りがどんどん進むという悪循環に陥り、株価が暴落したと考える方もいます。
と。
色々説はありますが、はっきりとした原因はわかっていません。
この急激な株価の暴落は、名前の由来になったブラックサーズデーが起こった1929年の大暴落を人々に思い出させ、人々の間では「新たな世界恐慌の前兆なのでは」と思い、一時的に株価は低迷しました。
実際にブラックマンデーの日に起きた株価の暴落はニューヨーク証券取引所のダウ工業株30種平均は1日で実に508ドルも下がりました。それは率にして22.6%という歴史に残る下落幅となりました。1929年のブラックサーズデーの下落率は12.8%でブラックマンデーはそれを大きく上回るものでした。
翌日以降、東京、香港、ロンドンと、アジアや欧州の各市場に連鎖し、世界同時株安を引き起こしました。
特に大きな影響を受けたのが香港ハンセン指数でその下落率は45.8%にも及びました。
ちなみに、日本の日経平均株価も14.9%下落しました。
これがブラックマンデーです。
ブラック後の株式
しかし、上記でも言っているように暴落の原因は見つからず、実体の経済はそれなりに健全だったため、株価は2年ほどで元の株価まで戻すことに成功しました。
この暴落を教訓にニューヨークの証券取引所ではサーキットブレーカーというシステムが導入されました。
これは突発的な暴落や急上昇が起きた時に一旦取引を停止させ、一度冷静になってもらって、落ち着きを取り戻した後、また、取引を再開してもらうための制度です。
ブラックマンデーのようにパニックにより、売りが売りを呼ぶような展開を回避するために創設された制度です。
ブラックマンデーを予想していた二人
一人目は大前研一さんです。
大前さんは自身の著書『日本の論点2019~2020』でこのように言っています。
”当時、金融経済は毎年4%台でずっと伸びていたのに、実体経済は同2%しか伸びていなかった。このギャップで生じた余剰資金が株や不動産、新興国の株などに流れ込んでバブル化する。バブルが弾ければ、株価や地価がいつ暴落しても不思議ではない。”
二人目はジム・ロジャーさんです。
彼は当時「ある朝、オフィスに出社したら、平均株価が300ドルも急落するような悲劇が起きるだろう」と警告していたそうです。彼は、ブラックマンデーのかなり前から、株式市場はあまりにも過熱しており、暴落する日は近いと考えていました。メディアでもこう発言してたのですが、それでも株価は高値を更新し続けていたそうです。ですが、実際にブラックマンデーの日に起きた株価の暴落は彼の予想してよりも残酷で、ニューヨーク証券取引所のダウ工業株30種平均は1日で実に508ドルも下がりました。それは率にして22.6%という歴史に残る下落幅となりまいた。1929年のブラックサーズデーの下落率は12.8%を大きく上回るものでした。
それでも彼はこの暴落を予想し、多くの株を空売りしていたので、大儲けすることができました。
彼曰く、市場が完全に崩壊することを確信していました。それは巨大なバブルだったからです。明らかにおかしな熱狂が起きていました。
「問題は、私以外はみんな強気で、誰もが熱狂が続くと信じ込んでいたことだ。全ては同じような軌跡を辿るものだ。人々は夢中になり、束の間の絶好調が永遠に続くように思ってしまう」と著書『危機の時代』で語っています。
勉強してみての感想
ブラックマンデーは株や経済の本を読んでいたら、よく出てきて、キャッチーなワードだったので勉強してみました。
何が原因かわからないことに恐怖を感じます。なので、数字を読む冷静さが大事だなと大前さんやジム・ロジャーの著書を読んで感じます。